としごと・しごとと

道後温泉の歴史・聖徳太子と風土記&額田王と万葉集

先日レイクタウンで愛媛県フェアをやっていた話を描きましたね。

我が家の暖房はエアコンが主流なのですが、それだけでは部屋が暖かくならないため、加湿器とサーキュレーターも回しています。サーキュレーターの温度がすごく熱くて危ない。買い替えかな~と思って、先程イオンレイクタウン内の電器屋に行って来ました。みきゃんとバリィさんじゃないか!ダークみきゃん・・・?うん、まぁ・・・。いや、ほんとに誰!?こみきゃん?みきゃんとテイストが違うやないか・・・。 イオンでは愛媛県フェアをやっておりました。愛媛といえば、これ。蛇口からポンジュース。愛媛県人がお国自慢で言った...
最近の愛媛県は修学旅行でも人気の観光地になっている・・・らしい。 - としごと・しごとと

そのときにふと思ったのです。

愛媛にいたときも「日本最古の温泉」とか「聖徳太子も入った」とか言われてましたけど、その根拠は考えたこともありませんでした。

それをパンフレットに書くということは、何らかの書物に記載があったのだろうと思って調べてみました。(暇か!)

ウィキペディアより引用

596年、厩戸皇子・うまやどのおおじ(聖徳太子)来湯

病気療養のため道後温泉に滞在したことが伊予国風土記(ふどき)逸文に記されている。

皇子は伊佐爾波(いさにわ)の岡に登り、風景と湯を絶賛し、記念に碑文を遺したとされる(伊予湯岡碑)。しかし今日までその現物は発見されておらず、道後温泉最大の謎とされている。14世紀に河野氏が湯築城造営の際に持ち去ったという説もある。椿の湯の南側の緑地にその模様を記した碑が建立されている。

これをはじめとして、日本書紀や伊佐爾波神社(八幡宮)の社伝などによると、景行天皇・仲哀天皇・神功皇后・舒明天皇・斉明天皇・中大兄皇子(後の天智天皇)・大海人皇子(後の天武天皇)など多くの皇族方が行幸したとされる。

風土記(ふどき)はその地の風土・産物・伝説その他を、地方別に記した書物で、奈良時代初期のいわゆる地方誌です。出雲国風土記は現存する中で完成本に近い状態で、現在は古代出雲歴史博物館に展示されています。

 

そして「万葉集」にも道後温泉で詠んだ歌が載っているそうなんです。

へぇ~どれどれ・・・と気軽に調べましたら

教科書で見たことある超有名なやつ。みんな知ってるやつやん・・・。

 

え~!そうやったん?

じゃあさ、じゃあさ~

めっちゃ地元だった!っていうね・・・ww

みやさん、これから「熟田津(にきたつ)出身です」って言うね。

※今は住んでないよ。

 

でも1番悔しいのが・・・

まーさんは熟田津の場所を知ってたんですよね。もしかして愛媛出身、松山市出身の人はみんな知ってる?

私が無知だっただけ?

だとしたらやばい。は、はずかしいww

 

みなさ~ん、この歌を見かけたら「道後温泉」を思い出してくださいね~。

あと額田王(ぬかたのおおきみ)って いかつい名前だけど、女性(天武天皇の妃)だったよ~!

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