今日の内容はちょっと重たい&長いです。
(辛い写真などは特にありません。)
以前長崎を旅行した時は子供たちもまだ歴史を習っておらず、平和公園や原爆資料館には行かなかったのですが、今回は違います。
2人とも太平洋戦争について少なからず勉強していますので、1945年8月6日の午前8時15分に広島で何があったのか・・・少しでも理解できればいいなと思い平和記念公園に連れて行きました。
平和記念資料館の本館(上)は改装中ですが、東館(下)は見学できます。
展示物の写真は撮っていません。
広島の原爆(ウラン)で約14万人、長崎の原爆(プルトニウム)で約7万人の方が亡くなりました。
原爆の威力としては長崎の方が大きかったのですが、長崎の爆心地が山合いだったため広島の被害の方が大きかったのだそうです。
とにかく原爆は二度と使ってはいけない爆弾だと感じることができます。
2016年5月にアメリカ大統領、バラク・オバマ氏が広島を訪問したのは記憶に新しいと思います。これってすごいことだったんだなと改めて感じます。
テレビでよく見るこの慰霊碑の下には、原爆によって亡くなった方の名前が収められています。そしてこの形はハニワの屋根を模しているのだそうです。被害者の霊を雨露から守りたいという思いが込められています。
原爆ドームでガイドさんのお話を聞きました。
原爆ドームはチェコ人のヤン・レッツェル設計の建物で、被災当時は「広島県産業推奨館」でした。
私はてっきり他の建物は木造で、原爆ドームだけ鉄骨で出来ていたからそれだけ残ったのだと思っていましたが、実際はドームの上に貼られていた銅(融点が低い)が一瞬で溶けて、爆風がうまく通り抜けただけなのだそうです。
現在は鉄筋で補強されていますが、当時はただの空洞だったそうです。
地図で確認するとわかりますが、原爆ドームの隣には川が流れています。
ドーム近くで2つの川が1つになる相生橋が原爆の投下目標になりました。
特徴的な川の形が上空からもよく見えたのでしょう。
そこに向けて8月6日、B29爆撃機「エノラ・ゲイ」が原爆「リトルボーイ」を投下しました。しかし実際は少し東に目標がそれて、爆心地は現在は病院の上空600mでした。
実は私、平和記念公園も原爆ドームも初めて訪れたのです。辛くて悲しい場所には足がなかなか向かず、こんな歳になってしまいました。もっと早く来れば良かったな・・・。
子ども達も教科書で読むのと、実際にその場所を訪れるのとでは全然違うと思います。
チャンスがあればぜひ!
さてこの日の広島、とにかく暑くて。
私も子供たちも、もう愛媛に向かおうよ~と思ったのですが・・・。
お、おう。
旅の予定には入れてあったのですが、あまりの暑さにやられてスルーしようとしました。
でも今度広島に来るのって何年後よ?って考えたら、行かざる得ません。
宇宙戦艦ヤマトのモデル、戦艦大和です。
史上最大の戦艦で、当時は「絶対に沈まない」と言われていたとか。
この先端の菊紋は、「天皇の所有物」という意味合いがあったからだそうです。
2016年5月に海底に沈んでいる戦艦大和の調査が行われ、その様子が現在大和ミュージアムで公開されています。
戦時中、呉市で作られた戦艦や船です。ものすごい量ですね。
広島を訪問すると、核兵器や戦争の恐ろしさを痛感します。
いつまでも平和な日本でありたいと願うばかりです。